はじめに―映画を観て感じた「何か物足りない」という感覚
2021年本屋大賞受賞作品である町田そのこ氏の『52ヘルツのクジラたち』が2024年3月に映画化され、話題を呼びました。私も期待を胸に映画館に足を運んだのですが、鑑賞後に残ったのは「何か物足りない」という正直な感想でした。
杉咲花さんの熱演、美しい映像、丁寧な演出―確かに映画として良くできていました。しかし、どこか表面的で、この作品が持つ本当の深さが伝わってこない。そんな違和感を抱えながら映画館を後にした私は、その答えを求めて原作を手に取りました。
そして、原作を読み終えた今、確信を持って言えます。**「絶対に原作を読んでほしい」**と。
この記事では、映画で感じた具体的な違和感と、原作を読んで分かった本当の魅力について、私の体験を交えながらお伝えします。
作品基本情報と私の体験談
基本情報
- 原作:町田そのこ著『52ヘルツのクジラたち』(2020年4月刊行、中央公論新社)
- 映画:2024年3月1日公開、監督:成島出、主演:杉咲花、志尊淳
タイトルは、他の鯨からは聞き取れない高い周波数で鳴き、懸命に歌っても仲間に気が付かれないため「世界でもっとも孤独なクジラ」といわれている52ヘルツの鯨から取られています。
私の鑑賞体験
私は映画から先に観るという、今思えば「もったいない」順序で作品に触れました。映画鑑賞時は感動もしましたが、どこか納得しきれない感覚が残りました。しかし原作を読んだ瞬間、その違和感の正体が明確になったのです。
それは、映画では削がれてしまった「魂の部分」が原作にはあったからでした。
映画で感じた具体的な違和感
表面的になってしまった心理描写
映画の限界を感じた最大の部分が、主人公・貴瑚の内面描写でした。原作では、貴瑚の複雑な感情の変化が丁寧に描かれています。彼女が抱える深い傷、自己否定感、そして少しずつ回復していく過程―これらが原作では数百ページにわたって繊細に綴られているのです。
しかし映画では、尺の制約もあり、これらの心理描写が表面的な表現に留まってしまっています。杉咲花さんの演技は素晴らしいものの、原作が持つ内面の深みを完全に映像化するのは不可能だったのでしょう。

重要なエピソードの省略による影響
映画を観ていて「あれ?」と思った場面が何度もありました。人物関係の説明が不十分だったり、重要な出来事があっさりと処理されていたり。これは後で原作を読んで理解できたのですが、映画では数多くの重要なエピソードがカットされていたのです。
特に、貴瑚の過去のエピソードや、「ムシ」と呼ばれる少年との関係性の深まりを描く細かな場面の省略は、物語の核心部分を薄めてしまっていました。
映像化による「綺麗すぎる」演出
これは映像作品の宿命かもしれませんが、原作が持つ生々しさ、重苦しさが映画では「綺麗に」処理されすぎていると感じました。児童虐待・家庭内DV・介護・トランスジェンダー・毒親・家族の不理解などの社会的問題を扱った作品として、もっとリアルな重さがあってもよかったのではないでしょうか。
原作を読んで分かった「本当の魅力」
圧倒的な心理描写の深さ
原作を読んで最初に圧倒されたのは、町田そのこ氏の心理描写の巧みさでした。登場人物たちの内面が、まるで自分自身の心の声のように聴こえてくるのです。特に貴瑚の心の動きは、読者が彼女と一体化してしまうほどの没入感があります。
映画では表現しきれなかった、微細な感情の変化、矛盾する気持ち、言葉にならない思い―これらすべてが原作では丁寧に描写されています。
削られたエピソードの重要性
映画では描かれなかった数々のエピソードが、実は物語の根幹を支える重要な要素だったことが原作を読んで分かりました。例えば、貴瑚の家族関係の詳細な描写、彼女が経験してきた数々の出来事、そして現在に至るまでの心の軌跡。
これらのエピソードがあることで、読者は登場人物たちの行動や感情に深く共感できるのです。映画では「なぜこの人はこう行動するのか?」と疑問に思った部分も、原作では完全に納得できます。
社会問題への真摯な向き合い方
原作で特に印象的だったのは、様々な社会問題に対する作者の真摯な姿勢でした。単に問題を提起するだけでなく、当事者の心の痛みや葛藤を深く掘り下げています。
映画でも社会問題は扱われていましたが、原作ではより重厚で多面的な描写がなされており、読者に深い考察を促します。これこそが文学の力だと感じました。
なぜ映画化で違和感が生まれるのか
映画制作陣の努力は十分理解できます。136分という尺の中で、原作の魅力を最大限表現しようとした苦労も感じられました。映像メディアとしての制約もあるでしょう。
しかし、それでも原作が持つ魂の部分―読者の心を深く揺さぶる力―は削がれてしまったのが現実です。これは技術の問題ではなく、メディアの特性の違いなのかもしれません。
他の読者・観客の声
「観終わった後に頭の中から出てきた言葉は、すごいの一言だった」「その時以上の衝撃を受けたような感じがする。気づいたら書店へ行き、文庫本を購入して原作を再読していた」という声も見つけました。映画から原作に戻った方の体験談ですが、私と同じような感覚を持たれたようです。
一方で、「凄い小説に出会った、と思った。これまでも好きだと思える小説には出会ってきたけれど、押し寄せる感覚がそれとは桁違い」という原作読者の声もあります。やはり、原作の持つ力は特別なものがあるのです。
【結論】なぜ原作を強く推奨するのか
この作品の「真の価値」は原作にある
映画も決して悪い作品ではありません。しかし、『52ヘルツのクジラたち』という作品が持つ真の価値―人の心を深く動かし、人生観を変える可能性すらある力―は、間違いなく原作にあります。
映画で満足してしまうのは、本当にもったいないことです。この作品が本屋大賞を受賞し、多くの人に愛され続けている理由を、ぜひ原作で体感してほしいのです。
原作を読むべき具体的理由
- 完全版のストーリーを体験できる:映画ではカットされた重要なエピソードを含む、完全な物語を読める
- 町田そのこ氏の真の文学的才能に触れられる:心理描写の巧みさ、言葉の美しさを堪能できる
- 社会問題について深く考えるきっかけになる:表面的でない、当事者の視点からの深い洞察を得られる
- 人生に影響を与える可能性:読者の価値観や人生観に深い影響を与える力がある
読み方の提案
映画を観た方へ:「騙されたと思って原作を読んでください」。映画とは別次元の感動が待っています。
まだ未視聴の方へ:「まず原作から始めることを強くお勧めします」。その後で映画を観れば、また違った楽しみ方ができるでしょう。
まとめ―読者への心からのメッセージ
映画『52ヘルツのクジラたち』を否定するつもりはありません。映像作品としての良さもあります。しかし、原作が持つ魅力は、映画とは比較にならないほど深く、豊かなものです。
もしあなたが映画を観て「良かった」と思ったなら、原作はその何倍もの感動をあなたに与えてくれるはずです。もし映画に物足りなさを感じたなら、原作こそがあなたの求めていた答えかもしれません。
『52ヘルツのクジラたち』という作品に出会えたことに感謝しながら、一人でも多くの方に原作の素晴らしさを知ってもらえれば―それが私の心からの願いです。
どうか、原作を手に取ってください。きっと、あなたの人生に深い何かを残してくれる一冊になるはずです。


