映画『変な家』を観て、「面白かったけど……なんか物足りない」と感じた人はいないだろうか。実を言うと、その感覚は正しい。映画はエンタメとしてよくできているが、原作小説はまるで別の生き物だ。映画が”派手に怖がらせる”作品だとすれば、小説は”じわじわと読者の日常を侵食してくる”恐怖体験に近い。特に決定的なのが、「間取り」を文字で読む体験だ。図面を目で追いながら自分の頭の中で空間を構築していくとき、想像力が暴走し始める。映画では映像が答えを先に出してしまうが、小説では読者自身が恐怖を”組み立て”なければならない。30代男性がこの作品に刺さりやすい理由も、まさにそこにある。理詰めで考えれば考えるほど、ぬぐえない違和感に足をすくわれる。
そもそも『変な家』とは?間取りミステリーという異色ジャンル
『変な家』は、覆面作家・雨穴(うけつ)による間取りミステリー小説だ。もともとはYouTubeチャンネルで公開した動画が起点となっており、「不審な間取り図」を主人公とフォロワーが考察するという斬新な形式で爆発的な人気を得た。書籍化後もベストセラーを記録し、2024年の映画化でさらに幅広い層へと認知が広がった。
この作品を一言で表すなら「図面から始まるホラー」だ。間取りミステリーというジャンル自体が前例のないもので、建築図面という日常的な素材をホラーの入口に使うセンスは唯一無二と言っていい。「なぜここに窓がないのか」「この部屋は何のためにあるのか」——そういった、普通なら見過ごすような疑問が、読み進めるうちに背筋を凍らせる事実へと変貌する。間取りミステリーとして、ミステリー好きにもホラー好きにも刺さる設計になっているのが人気の理由だろう。
映画と原作の決定的な違い【ネタバレなし】
①恐怖の質がまるで違う
映画版の恐怖は「視覚的」だ。薄暗い照明、不穏なBGM、そして役者の演技——これらが組み合わさることで、観客はほぼ受動的に怖がることができる。それはそれで一定の完成度があるし、映画としての娯楽体験は十分に成立している。
だが、原作小説の恐怖は性質が根本的に異なる。文字だけで描かれる空間を、読者は自分の頭の中で再構築しなければならない。「この廊下の突き当たりに、扉がある」という一文を読んだとき、その扉がどんな扉なのかを決めるのは読者自身だ。そして30代男性が特に弱いのが、この「論理的違和感」だ。ロジカルに考えれば考えるほど、「あれ、これはおかしい」という感覚が積み上がり、恐怖が静かに、確実に、育っていく。映画は瞬間的に怖いが、小説は読んだ後の方が怖い。
②原作は考察の余白が広い
映画はエンタメである以上、ある程度「答え」を提示する必要がある。観客を置き去りにするわけにはいかないからだ。しかし原作小説は違う。情報は断片的に提示され、読者に委ねられる部分が意図的に残されている。
この「自分で組み立てる怖さ」こそが、考察好き層の心を鷲掴みにする理由だ。読み終えた後、「あのシーンはどういう意味だったのか」「あの描写は何を示唆していたのか」という問いが頭を離れない。考察記事を漁り、他の読者の解釈と照らし合わせ、また読み直す——そんなループに引き込まれる。考察型ホラーとして、これほどよく設計された作品は珍しい。
③間取りを”読む”体験は映画では再現できない
これが最も大きな違いかもしれない。原作には実際の間取り図が挿入されており、読者はその図面を見ながらテキストを読み進める。建築的な視点と、ミステリーとしての論理推理と、ホラーとしての想像力が同時に動員される、極めて独特な読書体験だ。
「この部屋はなぜこんな形をしているのか」「なぜ隣の空間と繋がっていないのか」——そうした疑問を自分で発見し、自分で考え、自分で恐怖にたどり着く。映画では映像が”答え”を先回りして見せてしまうが、小説では読者が能動的に恐怖を”掘り起こす”。この体験は、映像メディアには原理的に再現できないものだ。

なぜ30代男性に刺さるのか?
30代男性というターゲットがなぜこの作品と相性がいいのか、少し考えてみたい。
まず、ロジカル思考との相性だ。社会人経験を積んだ30代は、物事を論理的に分解して考える習慣がついている。『変な家』の怖さは、論理で追えば追うほど深まる構造になっている。「おかしい」という直感を論理で検証し、論理が「やはりおかしい」と返してくるとき、恐怖は最大化する。
次に、不動産・住宅への現実的なリアリティだ。30代は住宅購入を検討したり、実際に引っ越しを経験したりする年代でもある。間取り図を見る機会が現実にあるからこそ、「こんな間取りの家があったら」という想像がリアルに迫ってくる。20代の学生とは違う、生々しい怖さがある。
さらに、ホラーより”違和感”を好む傾向だ。ゾンビが出たり幽霊が叫んだりする直接的なホラーより、「何かがおかしい」という静かな違和感の方が怖いと感じる人は多い。都市伝説や未解決事件に興味を持つ層と、この作品の親和性は非常に高い。
原作を読むべき3つの理由
① 映画では描かれなかった細部がある
映画はどうしても上映時間という制約がある。原作にある細かい描写、登場人物の心理、伏線の精度——これらは小説でこそ完全に味わえる。映画を観た後に原作を読むと、「あ、あのシーンはこういう背景があったのか」という発見が随所にある。
② 心理描写の深さが段違い
主人公の「これは気のせいかもしれない」という葛藤、「でもやはりおかしい」という確信へのプロセスが、原作では丁寧に描かれる。この心理の揺れ動きに共感できると、恐怖の説得力がまったく変わってくる。映画では駆け足で処理されていた部分が、ここで初めて息づく。
③ 続編への伏線が張られている
雨穴作品には続編『変な絵』が存在する。原作『変な家』をしっかり読むことで、その伏線や世界観のつながりがより深く理解できる。「続編ある?」と気になった人ほど、まず原作を読み込んでおくべきだ。続編も間取りミステリーの系譜を引き継ぎつつ、さらに進化した考察型ホラーとして評価が高い。
読んだ後にしたくなること
原作を読み終えたとき、多くの読者が最初にすることは「考察記事を漁る」ことだ。それほど、読後に「あれはどういう意味だったのか」という問いが残る。次に、挿入されていた間取り図をもう一度じっくり見返したくなる。そして「続編はあるのか」と検索し、『変な絵』の存在を知り、さらに雨穴の他の作品へと手が伸びていく。
この読後体験のループこそが、『変な家』という作品の最大の魅力かもしれない。一度読んで終わりではなく、読んだ後の世界が広がっていく感覚は、良質なミステリーが持つ醍醐味そのものだ。
まとめ|映画を観た今だからこそ原作を読む価値がある
映画はあくまで入口だ。エンタメとして完成度は高いし、『変な家』という作品を広く知らしめた功績は大きい。しかし本番は原作にある。
映画で「怖い家の話」として楽しんだ人が、原作を読むと「これは全然別の作品だ」と感じるはずだ。間取りを読む体験、考察の余白、じわじわと育つ心理的恐怖——これらは文字という媒体でしか実現できない怖さだ。
本当に怖いのは読後だ、と断言できる。読み終えた瞬間より、翌朝目が覚めたとき、ふとした瞬間に「あの間取り」が頭に浮かぶときの方が、ずっと怖い。
映画を観た今だからこそ、原作を読む価値は100倍ある。そう確信している。
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