こんにちは、アドラー心理学に興味のある書評ブロガーのかめきちです。今回は、ベストセラー「嫌われる勇気」について、「おかしい」「自己中心的」という批判の声に応えながら、本当の意味を解説していきます。
「嫌われる勇気」はおかしいか?への批判と誤解
「嫌われる勇気」は、岸見一郎氏と古賀史健氏による対話形式の本で、アルフレッド・アドラーの心理学を紹介した名著です。世界で1200万部を超えるベストセラーとなりましたが、一方で「おかしい」「自己中心的」という批判も少なくありません。
「嫌われる勇気を読んだけど、自分勝手に生きることを推奨しているようで違和感がある」
「トラウマは存在しないというのはおかしい」
「他人の課題に関わらないというのは冷たすぎる」
こういった批判や疑問の声をよく耳にします。しかし、これらの批判は本来のアドラー心理学の教えを誤解した結果なのです。著者の岸見一郎氏自身も「誤解されている」と指摘しています。
よくある誤解①:「好き勝手に生きていい」わけではない
「嫌われる勇気」と聞くと、「他人のことを気にせず、嫌われてもいいから自分の思い通りに生きればいい」という意味に受け取る人が多いようです。しかし、これは大きな誤解です。
実際に著者は次のように述べています:
「共同体感覚という考えへの誤解です。嫌われる勇気というタイトルが一人歩きしたために、「たとえ人に迷惑をかけて嫌われたとしても、自分のやりたいことを積極的にやろう!」と、その解釈を誤解している方も多く見受けられます。」
アドラー心理学の核心は「共同体感覚」にあります。これは単なる身勝手な自由ではなく、より大きな共同体(社会全体)への貢献を意識した生き方を指します。他人の期待に振り回されず、自分の信念に従って生きることと、わがままに生きることは全く別の概念なのです。
よくある誤解②:トラウマは存在しないという主張について
「嫌われる勇気」の中で最も批判を受けているのが「トラウマは存在しない」という主張です。これを字義通りに解釈して「精神医学の常識に反している」と批判する声も多いですが、これも大きな誤解です。
アドラーが言いたかったのは「過去の出来事そのものが直接現在の行動を決定づけるのではなく、その出来事をどう解釈するかが重要」ということです。つまり「過去の出来事を理由に何もできない」と諦める必要はなく、解釈の仕方を変えることで未来を変えられる可能性があるという希望を示しているのです。
実際の医学的なPTSDやトラウマを否定しているわけではありません。この点を正しく理解することが重要です。
よくある誤解③:課題の分離という考え方
「課題の分離」という概念も誤解されがちです。「他人の問題には一切関わらない」という冷たい考え方だと誤解されていますが、本来は「自分の人生の主導権を取り戻すための考え方」なのです。
例えば、子供の勉強について考えてみましょう。親が必死になって子供に勉強を強いる場合、本当にその課題に取り組むべきなのは誰でしょうか?それは子供自身です。親がいくら心配しても、最終的に勉強するのは子供です。これが「課題の分離」の基本的な考え方です。
しかし、これは「子供の教育に無関心でいい」という意味ではありません。むしろ「子供の自立を信じ、必要な時には支援する準備がある」という姿勢こそが大切なのです。
アドラー心理学が伝えたかった本当のメッセージ
「嫌われる勇気」が本当に伝えたかったのは、次の3つのポイントです:
- 自己受容: 自分自身をありのまま受け入れること
- 他者信頼: 他者を対等な存在として信頼すること
- 貢献感: 自分が社会に貢献している実感を持つこと
これらは「共同体感覚」と呼ばれる概念の核心部分です。アドラーはこの「共同体感覚」を非常に重視していました。共同体とは家族や会社などの小さな集団だけでなく、人類全体を含む大きな概念です。
つまり「嫌われる勇気」とは、特定の誰かに嫌われることを恐れず、より大きな共同体への貢献を意識した生き方を選ぶ勇気なのです。
日常生活に活かす「嫌われる勇気」の実践方法
では、正しく理解した「嫌われる勇気」をどう日常生活に活かせばよいでしょうか?
- 承認欲求から自由になる: 特定の人からの評価に振り回されない
- 課題の分離を実践する: 自分の課題と他者の課題を区別する
- 他者との平等な関係を築く: 優劣関係ではなく、対等な関係性を心がける
- 「今、ここ」を生きる: 過去や未来ではなく、今に集中する
- 貢献感を持って行動する: 社会への貢献を意識した行動を心がける
重要なのは、これらを実践するとき「自分勝手に」ではなく「共同体感覚」をベースにすることです。そうすれば、「嫌われる勇気」は単なる自己中心的な生き方ではなく、より豊かな人間関係と充実した人生につながります。
まとめ:「嫌われる勇気」の本質とは何か
「嫌われる勇気」の本質は、「他人の期待に振り回されず、自分の信念に従って生きる勇気」です。しかし同時に、「共同体感覚」という社会全体への貢献意識を持つことも非常に重要です。
この二つのバランスを取ることで、本当の意味での「嫌われる勇気」を持つことができます。それは単なる「我が道を行く」精神ではなく、より良い社会のために自分の役割を果たしながら、自分らしく生きる道を選ぶ勇気なのです。
「おかしい」「自己中心的」という批判は、この本質を見落とした結果だと言えるでしょう。
アドラー心理学を正しく理解し、実践することで、他者との豊かな関係性を築きながら、自分らしい人生を生きる道が開けます。それこそが「嫌われる勇気」が本当に伝えたかったメッセージなのです。
いかがでしたか?この記事では「嫌われる勇気」についての誤解や批判を解き明かし、その本当の意味を探りました。皆さんはどのような印象を持たれましたか?コメント欄でぜひ感想をお聞かせください。
また、「幸せになる勇気」や他のアドラー心理学に関する書籍の紹介も今後していきたいと思います。ぜひブックマークして、また遊びに来てくださいね。
【参考文献】
- 『嫌われる勇気』岸見一郎・古賀史健著(ダイヤモンド社)
- 『アドラーをじっくり読む』岸見一郎著(中公新書ラクレ)
- 『幸せになる勇気』岸見一郎・古賀史健著(ダイヤモンド社)


